仙台高等裁判所 昭和43年(う)56号 判決 1968年5月17日
被告人 佐藤正美
主文
原判決を破棄する。
被告人を罰金五、〇〇〇円に処する。
右罰金を完納することができないときは、五〇〇円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置する。
ただし、本裁判確定の日から二年間右刑の執行を猶予する。
理由
本件控訴の趣意は、山形区検察庁検察官事務取扱検事横地博名義の控訴趣意書記載のとおりであり、これに対する答弁は、弁護人樋口幸子名義の答弁書記載のとおりであるから、それぞれこれを引用する。
控訴趣意(事実誤認および法令適用の誤り)について
所論は、要するに、原判決は、自動車の構造上の特性を無視し、極限された破損部分のみを捉えて、本件物損は報告を要しない軽微な損壊であり、かつ被告人に故意、過失はなく、純然たる被害者であるとの理由をもつて本件物損事故につき報告義務はないものとして被告人に対し無罪の言渡をしたが、道路交通法第七二条第一項後段の法意は、物損事故の場合、損壊の程度如何にかかわらず、また、運転者が被害者であると加害者であると、故意、過失の有無を問わず、当該交通事故に関与した車両等の運転者に対し、警察官に対する報告義務を課したものと解すべきであるから、原判決には法令の解釈を誤つた違法があるのみならず、道路運送車両法に基づく保安基準に照らしても、本件物損は、報告義務の対象たる損壊であると認めるべきであるのに、原判決が報告を要しない軽微な損壊であると認めたのは事実の認定を誤つたものであり、到底破棄を免れない、というにある。よつて、記録を調査するに、原判決は、「被告人は昭和四二年一月二一日午後三時頃米沢市塩井町塩野地内道路上において軽四輪自動車を運転中大型貨物自動車と接触し、右側後部を破損した事故を起したのに、事故発生の日時、場所等法令の定める事項を直ちにもよりの警察署の警察官に報告しなかつたものである。」との公訴事実につき、証拠上対向車との接触により被告人運転の自動車の左側後部窓枠付近に物損を生じた事実を認めることができるとしながら、道路交通法第七二条第一項後段の規定は、如何なる事故についても必ず報告する義務を課したものではなく、物損の程度が極めて軽微で、交通安全上影響のないものについては、報告義務を負わせないのを相当とする場合もあるべく、また、事故の態様等によつては、当事者双方にその義務を負わせず、一方のみに負わせるのが相当である場合もあり得るとした上、本件物損は、被告人運転の自動車のみに生じたものであり、かつ右事故の発生につき被告人に故意、過失はなく、いわば純然たる被害者の立場にあつたのみならず、右物損は運転に何ら支障のない比較的軽微なものであるから、未だ報告義務の対象とはならず、したがつて、本件公訴事実は罪にならないとして、被告人に対し無罪の言渡をしたことが明らかである。
ところで、道路交通法第七二条第一項後段の法意を考えるに、同条が交通事故があつた場合に、当該車両等の運転者らに警察官に対する報告義務を課しているのは、警察官をして速かに交通事故の発生を知り、被害者の救護や道路における危険の防止等交通秩序の回復につき適切な措置をとらしめ、もつて被害の増大の防止と交通の安全とを図るにあるものと解される(昭和三七年五月二日最高裁判所判決参照)。右法意に徴し、かつ同条第二項、第三項の警察官の命令、指示権の規定に照らすときは、すべての交通事故の発生を警察官に把握せしめ、その判断と措置によつて前記法意の達成を期したものと解すべく、したがつて、同条第一項後段にいわる「物の損壊」とは、損壊の程度、具体的危険発生の有無、危険防止措置の要否の如何を問わず、いやしくも物の損壊のあつたすべての場合を含むのであつて、その程度が軽微であつても、また、被害者たると加害者たるとを問わず、さらに右事故発生につき運転者の故意、過失もしくは有責違法の有無にかかわらず、運転者各自に報告義務が課せられているものと解すべきである。これを本件についてみるに原審検証調書によると、被告人運転の自動車に生じた物損は、左側後部窓枠のアルミサツシユが長さ約四糎にわたつてもぎとられ、その後方の車体板金部分の塗装が四糎、二・五糎、二・五糎のほぼ三角形状に剥がれてくぼんでいることが認められるので、前段説示の趣旨に鑑み、右物損事故につき、被告人についても同条第一項後段による報告義務があるものと解するのが相当である。してみると、原判決が本件を罪にならないものとして被告人に対し無罪の言渡をしたのは、所論のとおり、道路交通法第七二条第一項後段の解釈を誤つたものであり、かつ右誤りが判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、原判決は到底破棄を免れない。論旨は理由がある。
よつて、刑事訴訟法第三九七条第一項、第三八〇条により原判決を破棄し、同法第四〇〇条但書に則り、当裁判所は直ちに判決することができるものと認め、さらに次のとおり判決する。
(当裁判所が認定した罪となるべき事実)
被告人は、昭和四二年一月二一日午後三時頃山形県米沢市塩井町塩野地内道路上において軽四輪自動車を運転中対面進行して来た石川代右エ門運転の大型貨物自動車と接触し、自車の左側後部窓枠部に破損を生じたのに、右事故発生の日時、場所等法令の定める事項を直ちにもよりの警察署の警察官に報告しなかつたものである。
(証拠の標目)<省略>
(法令の適用)
被告人の判示所為は、道路交通法第七二条第一項後段、第一一九条第一項第一〇号、罰金等臨時措置法第二条に該当するところ、所定刑中罰金刑を選択し、所定罰金額の範囲内で被告人を罰金五、〇〇〇円に処し、右罰金を完納することができないときは、刑法第一八条により五〇〇円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置することとするが、情状につき考察するに、被告人が原判示場所において、対面進行して来た石川代右エ門運転の大型貨物自動車に進路を譲るべく道路右端に停止した際、右自動車が通過できるだけの間隔があつたのに、積雪等により道路の状態が悪かつたため、右自動車が傾いてその蝶番の部分が被告人運転の自動車の左側後部窓枠部分に接触したのであつて、本件物損事故の発生につき被告人に過失がなく、いわば被害者の立場にあること、右物損は比較的軽微であり、爾後の運転に何ら支障がなかつたこと等諸般の情状に鑑み、刑の執行を猶予するのを相当と認め、同法第二五条第一項を適用して本裁判確定の日から二年間右刑の執行を猶予し、原審および当審における訴訟費用は、刑事訴訟法第一八一条第一項但書により被告人に負担させないこととし、主文のとおり判決する。
(裁判官 矢部孝 佐藤幸太郎 阿部市郎右)